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ツカヤの徒然

人間関係で、悩んでいたとき・・・

2年前ぐらいからでしょうか?

ちょこちょこ写真を撮るようになりました。

出かけるときにデジカメを持参して、目についたものを撮るようになりました。

最近はお花が多いかな~。

「あっ、綺麗~!」と思ってすかさず撮るわけですが、何人もの人が同じものを見ているのに、通りすぎていきます。同じ花を見ても、見ている人が違えば、必ずしも同じ印象を持つわけではないのです。

同じものを見ても、「うわ~、美しい~。」と思ったり、「なんだこりゃ!」と思うかは、その人次第です。




知覚はあくまでも個人の主観的体験




ボクは「他人が自分をどう思っているか?」を、もの凄く気にする癖がありました。

だから、「自分の思っていることを何とかして伝えたい。」とか、「まったく同じものを共有するにはどうすればいいか?」なんてことに、奮闘していた時がありました。

疲れていましたよね~。だって出来ないことを一生懸命頑張っていたんですもん!(笑)

何の成果も見えないから、喜びもなく、どんどんエネルギーを浪費していたようなもんです。




だから、「他者と関係する」ということが、嫌になっていた時期がありました。「わかってもらえない~!!」って。

そんな時、多母さんから教わったことがありました。




「一つというところ(統一意識)に行き着くまでは、他人とは共有できない。だから労わりが必要です。重ならないから、添っていくしかない。」




このことを教えていただいたときに、何だか楽になったことを覚えています。

「そうだったんだ!!」って。



それからは「自分のことを、わかってもらおう!わかって欲しい!」ということをしなくなったように思います。



相手とまったく同じものを体験できるわけではないので、相手に対して一生懸命になるだけだと、今は思うようになりました。

別々だから一つになりたいという愛を溢れさせること:慈悲。これが大切なんだな~と噛みしめています。

開花

今日は、朝起きた後にある想念が浮かびました。

「昨日撮ったあの花は、もう完全開花したのかな?」って…。

「あの花」

それは快晴の空を背景に、とても美しく輝いて、咲き誇っていた花。

あともう少しで完全開花しそうだった、この花。


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完全には咲いていなかったけど、その姿はとても美しく何枚も写真を撮りました。

魅入っていました。




なんだかわからないけど、昨日見たこの花がとっても気になって…。

たまらず写真を撮りに出かけました。

すると

咲いていましたよ~。


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完全開花ではないけれども、確実にそちらに向かっていました。あともう一息です!

たった一日しか経っていないのに、その姿は少し大きくなったように思えました。
(画像を比較すると、大きく撮ってしまったので確かに大きく写っています。(笑))




人間の時間で表現すると、たった一日。その一日で、確実に開花へ進んでいました。

汗だくになりながら、力んで緊張して、というようには見えません。

淡々とやることをやって、確実に開いてきたように思えます。美しい姿です。




神の御業




人もまた、それぞれが授かってきたものを、いつか必ず開花するものだと、多母さんから教わりました。

今のボクは、まだ完全開花とは程遠い状態ですが、いつか咲き誇りたいという願いがあります。

さらに願わくば、周りにもその芳しい花々を見てみたいと、そう思うのです。

だって、絶対綺麗だと思うんですよね!うん、絶対!!

皆さんもそう思いませんか?




だから、まずは自分が開花できるように、やることをやっていこうと思っています。




この花は証…。

開花を証してくれました。




有難いな~
嬉しいな~
なんか、頑張れるな~

さ~てと、明日もガンバルンバ!!

休日の日に 徒然に…

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土曜日の休日。

いつもより静かな道を、会社へ向かいました。

久しぶりに、カメラを持って・・・。



いつも車で10分の道のり。

その道がこんなにも美しいものだとは知りませんでした。


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全ては神ゆえにある。



当たり前ですが、ボクが生みだしたものなんて一つもないわけで、全ては用意されているわけです。

そして、毎日毎日変化していて、まったく同じものは一つもないわけです。

こんなボクにも、神はこれほどのものを見せてくれるわけで・・・。


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当たり前のように、毎瞬、毎瞬、恩恵は届けられているわけです。

本当に有難いです。

この神の恩恵に見合えるだけのものになれるよう、せっせと自分を磨いていきたいと思います。


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わかるということ

なんだか幸せ~。
なんだか楽しい~。
なんだかわからないけど、笑ってばかりいる~。

アハハ~

ただ、幸せがある。
ただ、楽しいがある。
ただ、笑いがある。

なんだかこぼれちゃうんですよね~。
内側から湧いてくるんですよね~。
不思議なんですけどね~。


幸せに理由なんてない~
楽しいに理由なんてない~
笑いに理由なんてない~


理由を必要としているのは、きっとマインド。
理由があれば、納得できるから?
わかれば、それが出来るようになるから?


「わかる」・・・


理解できることがとっても好きなんです、僕は。
理解できないと落ち着かなくてしょうがなかったんです。
わかりたかった、理解したかったんです。

でも、最近になってわかったことがあるんです。
「わかる」って、それが出来るようになったとき、経験できたときに「わかった!!」ってなるんです。


昔のボクは、「わかったら、やる!」でした。
かなり頑なでしたよ~。まあ、今でもかなり頑なではあるんですけどね!あ~ぁ・・・。

やってみないと、やっぱりわかりません。知性が高いわけでもないので、推測してわかるわけでもありません。

身に起こさないと、わからないんですよね。こう、「掴んだぜ!!」って実感もないわけです。掴んでないもんだから、自由に使うこともできないわけです。


そうすると、やってみるしかないんですよね。
これがなかなか勇気のいることなんですが、やるって決めるしかないんですよね。
決めても揺らぐから、何度も決めないといけないんです。


そんなことが、最近になってやっとわかってきました。



お恥ずかしい話ではあるんですけど~~~
ちょっと告白してみました♪

甥と姪と遊びながら・・・

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ボクには甥と姪がいます。二人ともとっても可愛いです。

甥は小学校1年生になりました。少し前まではウルトラマンごっこをして、一緒に遊びました。大抵、ボクが怪獣役でやられるんですけどね!(笑)

二人のお気に入りの遊びは、手を持ってグルグル廻してあげて宙に浮かぶというものなんですが、なんとなくイメージできますでしょうか?(笑)

とにかく、いろいろなことをやって遊んでいます。とても楽しそうです。



当たり前だけれども、ボクにも同じ時代がありました。いまいち思い出せませんが、楽しかったんだろうと思います。

少なくとも、「どうすれば楽しめるだろうか?」とか「本当にこれは楽しめるのだろうか?」なんて考えなかったと思います。

ブランコを目の前にして、「これは本当に私に合っているのだろうか?」「ブランコに乗ることは、正しいことなんだろうか?」なんてマインドは働かず、すぐさまブランコに乗っていたと思います。(笑)

いつの頃からか、ボクには規制とか色々呼ばれている枠がはめられていました。

どんどん制限をかけられることで、幼きころに欲求を否定し、行動をおこすことがなくなっていました。

行動をしないということは経験とはならないので、心が伸びやかに育くまれる機会を失ってしまったことになります。




こうなることで、ボクは自分自身を見失っていました。

自分が誰だかわからないのです。

自分が何を望んでいるのか、何をしたいのかわからなくなりました。

今だからわかるのですが、これはかなり遠回りだと思います。自分に触れる機会をどんどん失っていくことになるのですから…。




「同じ経験をさせたくないな~」って思っています。

「甥や姪が伸びやかに成長しますように!」ってやっぱり思います。

彼らのチャレンジをそっと見守って、励ませることのできるようになりたいと、そう願っています。

そのためにも、自分をせっせと磨いていこうと、やっぱり思うのです。

うっとり消しゴム ☆

ボクは周りの人を、もの凄い気にして過ごしていた時期がありました。「何を思っているんだろう~。」とか、「こうすると、こういう反応されるだろうな~。」とか、いろいろウジャウジャ思考が浮かんでました。


相手の反応が気になって、行動を起こす前に悩んでしまうのがいつもの癖でした。


しかもこの「相手の反応」というのをよくよく観てみると、「相手から自分がどう見られているのか?」を気にしていたんです。


「行動を起こす目的」を見るのではなく、「行動を起こした結果、自分がどう見られるか?」を気にしていたんです。





かなり自意識過剰な奴でしょう!? アハハ~
でも、今でもかなり自意識過剰かな? えへへ~





一番気になったのは、遠くで誰かと誰かが話しているときに、チラ!ってこちらを見てそれからまた話しているとき・・・。


こういう状況のときは「悪口を言われているのでは?」っていう思考が、すぐ浮かんできちゃったんです。


でも本当にその二人がそういうことを言っていたかは、判らないんですよ。勝手にそう思っちゃったんです。





不思議ですよね~~~。





これって、昔にそういう場面に出くわしたときに悪口を言われていたときの印象が、こびりついていたからなんです。記憶が呼び出されて、自動的に反応してそう思っちゃったんだと思うのです。


こういう経験って、結構ありませんか?


昔やって出来なかったから、苦手意識を持ってしまった。でも今やってみたら出来た~みたいな。


こういうことも、いっぱいあると思うのです。





このことを経験できたのは、月1回のリカバーを受けるようになってからなんです。


どう表現したらいいのかわからないんですけど、リカバーを続けていくと印象が薄くなっていく、消えていくんです。もちろん受けたそのときにはわからないのですが、続けているうちにね・・・。


鉛筆でグチャグチャに書かれて黒くなった用紙が、消しゴムで綺麗になり、白紙に戻っていくような感じ・・・かな?


本人はオイルでマッサージされてうっとりしているだけなんです。(笑)


でも、その間にそれが行なわれている・・・。




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考えてみれば、なんて簡単なんでしょう!


今頃になってビックリしちゃいました!!(笑)


だから皆様にお勧めしたいです、リカバーコース・リセットコースを!!


「うっとり消しゴム ☆」
ぜひぜひ、体験してみてください。気持ちいいですよ~♪

受け入れる


人の評価をとても気にするようになったのがいつ頃からだったのか、今では思い出せないんですが、社会人と呼ばれるようになってからは、もの凄く気にするようになっていました。


誰もが今すぐには出来ないことがあると思うのです。今まで経験したことがないことは、やっぱりすぐには出来ないですよね?当たり前のことなんですが…。


でも、評価を気にするようになってからは、「出来ないこと」を見るのが嫌になって、極力出来ないことに関わらないようにしてきました。


出来ない自分を見たくなかったのです。「恥ずかしい」そう思っていました。


いろいろ四の五の言い分けばかりしていました。「別にこんなの出来なくても、困らないし~。」などと・・・。


つまり、その「出来ないこと」を受け入れられなかったのです。


受け入れられなかったので、ソレはずーとソノまんま・・・。






でも、いつからか「今の自分には出来ない」と認められるようになりました。受け入れることができるようになりました。


そうすると、出来る人に教えを請うようになりました。


当たり前なのですが、出来る人に教わり、訓練を重ねると出来るようになるわけです。


ピョンピョンものごとが進むようになりました。


受け入れたときに、初めて「どうしたらいいのか?」を考えることができるようになりました。






「受け入れる」ことが難しいものの中には、「嫌いな自分」があると思います。


好きな自分、嫌いな自分・・・。


二つに分かれるという分離。これは苦しいですよね~。


「受け入れる」はこの二つに分かれるというものを、一つにしていく最初にあるものだとボクは思うのです。


だから、まず嫌いな自分があったとしても、それを受け入れることから始めてみてはいかがでしょうか?


嫌いな自分を排除しようとするのではなく、「そうそう、自分にはこんなところもあるよね~。」って、承知してみてください。受け入れてみてください。


それがスタートになると思うのです。






浄化を進めていき快活さが満ちてくると、きっと出来ないことに挑戦している自分になれると思います。嫌いだと思っていた自分が、いつの間にかいなくなっていると思います。


きっと、キット、分離していたアレコレがまとまってくると思うのです。


そうすると、もっと日常を楽しめるようになると思います。






「人生は楽しむためにある」


ボクはそう教わりました。


その最初の一歩にあるのが「受け入れる」なのかな~って、今は思っています。

アイシテイマス

ボクは恋をしている・・・

とても焦がれている・・・

胸から溢れるものを止めることはできず

ソレは溢れだす・・・



輝きは溢れ

美しさの内に佇む・・・



ただこうしてアルだけで

とても満たされる・・・



イトオシイ  ただ、イトオシイ

ただ、このトキが

二度とないこのトキが・・・






ボクは恋をしている・・・

これは、存在へのラブコール

そして、存在からのラブコール





愛しています

アイシテイマス


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満ち足りて、ただ有難い…


いつからだろう?この満ちた感じは…

いつからだろう?こんなに人の笑顔が美しいと思えるようになったのは…






今日、職場の上司がとても無邪気な笑顔をボクに見せてくれました。

少年みたいな笑顔でした

屈託のない笑顔でした。



そのとき、ボクの内には静かだけれど、満ち足りた何かがありました。

優しくって、清涼感のある何か~。





昔は上司のことがあまり好きにはなれませんでした。正直に書くと嫌いでした。

上司だけではなく周りにいた人達のことも、嫌いだったと思います。

目に映るものを「拒絶」をしていたのは、それはボクがボク自身のことが嫌いだったから。

自分の内側にあるものを、ず~とみていたのです。

目に映るものに抱く思いは、ボクの内にあるものでした。

ボクが周りに抱いた思いは、確実にボクの内にあったものでした…。





お陰様で、今日、上司の笑顔を見たときに「有難い」がありました。

「嬉しい!」がありました。

暖かさが、優しさがそこにはありました。

満ち足りている自分がいました。





生命のトキの中にある、大切な、大切な一瞬…。

幸せに満ちたヒトトキ

「有難い」が満ち溢れた、そんな一日でした。

ちっちゃな愛の詩

お世話になっている方々、導いてくれる方に、感謝しています。


今のボクがあるのは、関わりを持ってくださった方々がいるお陰です。


今の記憶にはない時代に、関わってくれた方々もいると思います。


今は感じることができないけど、見守っていてくれる方々もいると思います。


一体どれだけの方々に見守られて、支えられて、今の自分がいるのかを思いました…。






どれだけのものを与えられてきているのか…。


想像を超えているものを受け取ってきていると思います。


今に連なる流れの中で、先人達が育んでくれたものを、今ボクは受け取っています。


とてつもない恩恵です。


脈々と連なる大いなる流れの中で、先人達が培ったものを受け取っているということ。


これが一体どれ程のことなのか…。






導いてくださる方がいることに感謝です。直接触れて教えを受けることができることは、幸運です。


今でも十分幼くはありますが、それよりさらに幼き自分が、今はこうしていられること…。


この恩を観たときに、ボクに出来ることは感謝することだけ。


幼い自分はそれすら忘却してしまいますが…。




ボクよりボクのことを知っていて、導いてくれる…


ボクよりボクのことを信じてくれている…


ボクよりボクに愛を注いでくれている…


これが幼い自分にとってどれだけのものであるかを説明することは、とても難しいです。




こんなにも…   
こんなにも…






ボクの好きなアーティストの曲の1節に
≪本当のありがとうは、「ありがとう!」じゃたりないんだ~≫
という詩があります。


この言葉が実感できるようになりました。




言葉だけでは…




それでも、ここまでボクを見守ってくれて、支えてくれて、導いてくれる方々にボク出来ることは、感謝することしかないのかもしれません。


だから、「頂いた恩をお返しする」このことのためには、「恩を次へ渡していくこと」なのかもしれません。




だから…


小さなことを少しずつでも… やっていこうと、そう思っている今のボクがいます。

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